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万葉牛の歴史について

万葉牛について

名峰大山や砂丘で知られる鳥取県。自然豊かな大地で育まれた鳥取県の和牛は江戸時代から良牛が受け継がれてきました。鳥取和牛の中でも厳しい選考基準を満たし、全国の食通を唸らせる和牛、それが「鳥取いなば万葉牛」です。

万葉牛の成り立ちは、「株式会社はなふさ」の社長である花房稔氏(当組合組合長)が創業前に大手食品会社で働いていた頃、隣県の岡山県のエリアを任されていましたが、岡山には美味しい和牛が普及しているのに、当時の鳥取県の主流商品は輸入牛や乳牛、交雑牛という現実を目の当たりにしました。そこで、鳥取県に美味しい和牛を根付かせたいという熱い想いを抱き、会社を立ち上げ、当時から牛作りと味に定評のあった鳥取市河原町に在る「谷口畜産」の谷口拓也氏(当組合副組合長)を何度も訪問し、やっとの思いで牛を売ってもらうまで漕ぎつけました。それが「鳥取いなば万葉牛」誕生の発端となりました。

「鳥取いなば万葉牛」の名前の由来は、大伴家持が万葉集の最後の歌を詠んだのが因幡の里(現在の鳥取県東部あたり)だと言われているところから、万葉集のようにずっと語り継がれるようなブランド牛にしていきたいという想いから名前を付けました。

現在「万葉牛」の指定生産者は、県内の6農場の指定生産者。さらに、その生産者達の出す牛の中から厳選することでその味わいがしっかりと守られています。今では日本全国に多くの万葉牛指定登録店が名を連ね、非常に高い評価を得ており、市場での品評会では数々の実績をあげています。和牛本来の香りや味を守り続け、自分達が本当に美味しいと信じる牛肉の生産を続けていく。そんな想いと愛情を持った生産者によって「鳥取いなば万葉牛」は今日も育まれています。